Philosophy

創造的に時を刻む

傘のドームと、始まりの空間

小さい頃、家の前の道路に傘を並べて遊んでいました。

最初は一本。そこにもう一本を隣り合わせるように置き、少しずつ本数を増やしていく。並べ方を試しながら、傘と傘がつながり、やがてひとつのドームのような空間ができあがるのを眺めていました。

ある瞬間、見慣れたいつもの道路が、まったく違う場所に変わりました。傘に囲われた内側は、道路の一部でありながら、外の世界から切り離された、私だけの空間になったのです。

かと思えば、傘をひとつ、またひとつと取り除いていくと、空間の輪郭は次第に曖昧になっていきました。道路なのか、私的な場所なのか。そのどちらでもあり、どちらでもないような、不思議な境界が生まれました。

そこに友達を招き入れ、さまざまな遊びをしました。

今思えば、不思議なことです。傘がなければ、いつもの道路で同じ遊びをしようとは思わなかったでしょう。傘を並べ、空間が生まれたことで、そこに集まる理由ができ、遊びが始まりました。

変わったのは、場所そのものではありません。そこにあるものの配置が変わり、空間の意味が変わったことで、私の世界の見え方が変わったのです。そして、その変化は感情を生み、行動へとつながっていきました。

空間は、ただ人やモノを収めるための器ではない。世界の見え方を変え、そこにいる人の意識や振る舞いに働きかけるものなのかもしれません。

振り返れば、あの傘のドームは、私にとって初めての空間づくりだったのだと思います。

建築を学び、設計するようになった今も、あのとき感じた不思議さは、私のなかに残っています。

何かをつくることで、いつもの世界が違って見える。そこに新たな意味が生まれ、人の営みが始まる。

建築によって、世界と人との関係にどのような変化をもたらせるのか。

その問いは、あの頃の小さな傘のドームから、今も続いているのかもしれません。

世界に散りばめられた自分との出逢い

アフリカや南米を旅していた頃、自己とは、世界との相対的な関係のなかにあるものなのではないかと思うようになりました。

知らない土地を訪れ、見慣れない人々の暮らしに触れ、ときには圧倒的な自然を前にする。

それまで当たり前だと思っていたことが揺らぎ、自分でも思いがけない感情や考えが湧き上がることがあります。

そうした感覚は、いつまでも続くわけではありません。土地を離れ、時間が経てば、いつしか意識の奥へと遠ざかっていく。そして、別の場所で、また違った自分に出会う。

振り返ってみると、旅のなかで経験したことは、単なる思い出ではありませんでした。あのとき確かに感じ、考えていたことは、紛れもなく自分自身の一部だったのです。

けれど、それは自分の内側に、あらかじめ備わっていたものなのでしょうか。

むしろ、あの場所に身を置き、あの時間を過ごしたからこそ、初めて現れた自分だったのかもしれません。

そう考えると、自己とは、ひとつの確かな輪郭を持つものというよりも、世界との出会いを通して、少しずつ形づくられていくもののように思えます。

旅先での経験に限らず、これまでの人生を振り返れば、ある人との出会いや、何気ない出来事によって、それまでの自分が変わったと感じる瞬間があります。

そのひとつひとつは、過ぎ去れば見えなくなってしまうものかもしれません。それでも、そこで出会った自分は、確かに自分のなかに残り、今の自分を形づくっています。

世界のあちこちに、まだ出会っていない自分がいる。

そう思うと、世界は、ただ自分の外側に広がるものではなく、自分という存在の可能性を秘めた場所にも見えてきます。

建築について考えるとき、私のなかには、こうした感覚があります。

建築は、そこに暮らす人のために、ひとつの完成された世界を用意することではない。人が身を置き、時を重ねていくなかで、その人自身の経験が育まれていく。そのための場所をつくることなのだと思います。

どのような建築が、その人にとって大切な場所になるのか。それは、設計者があらかじめ決められることではありません。

建築をつくることは、そこで営まれる人生のすべてを描くことではなく、その先に広がる時間に、ひとつの可能性を差し出すことなのかもしれません。

いつか、その場所で過ごした時間を振り返ったとき、そこにいたからこそ出会えた自分がいる。

そんな場所をつくることが、私の建築に対するひとつの願いです。

創造的に時を刻む空間を求めて

私たちは、時をどのように知覚するのだろうか。

何かに熱中しているとき。新しい経験に心が躍るとき。美しい自然と深く関わるとき。私たちは、いつもとは異なる時間の流れを感じることがあります。

それは、時間の粒度が上がったかのように、一瞬一瞬が鮮明に意識され、時を刻んでいくような経験です。

日々の暮らしのなかにも、そうした瞬間は潜んでいます。目に映る風景や耳に届く音、肌に触れる空気。何気なく眺めていた木々の揺らぎに心を奪われる。使い込まれた道具の手触りに、これまでの時間を感じる。誰かとの会話をきっかけに、それまで考えもしなかったことに思い至る。

世界とのささやかな接点が、私たちの感覚を呼び覚まし、インスピレーションをもたらします。

私たちは、身体を通して世界を認識しています。光や風、音や匂い、モノの質感。そこから生まれる感覚は感情を呼び起こし、思考を促し、やがて行動へとつながっていきます。

何かをつくること、誰かに言葉をかけること、新しいことを試みること。そうした行為によって、私たちは世界に働きかけ、世界との関係を少しずつ変えていきます。

創造とは、特別な才能を持つ人だけのものではありません。世界に触れ、何かを感じ、思考し、自分なりに応答していく。その営みこそが、生きるということなのだと思います。

世界との関わりのなかで生まれる感情や思考、そして自らの意思による行動。その積み重ねが、日々に充実感をもたらし、生きているという実感につながっていくのではないでしょうか。

建築を設計することは、そうした人間の営みを支える環境をつくることでもあります。

どのような光が差し込み、どのような風が通り抜けるのか。何に触れ、何を眺め、どのような距離感で人やモノと関わるのか。空間のあり方によって、そこで生まれる感覚や意識、行動の可能性は変わっていきます。

もちろん、建築によって人の感じ方や行動を決めることはできません。同じ場所にいても、何に心を動かされるかは人それぞれであり、同じ人であっても、その日の気分や経験によって受け取るものは異なります。

だからこそ大切なのは、ひとつの過ごし方や意味を与えることだけではなく、そこから広がる無数の可能性を受け止める余地をつくることです。

建築が人にインスピレーションを与え、新たな感情や思考が生まれる。そこから行動が生まれ、誰かに伝わり、また別の何かを引き起こしていく。

ひとつの場所から始まった小さな変化が、やがてその人の世界の見え方を変えていくかもしれません。

私たちが設計したいのは、単に時間を過ごすための場所ではありません。そこで過ごす人が何かを感じ、考え、自らの意思で世界に働きかけていく。そうした創造的な時間が積み重なっていく場や環境です。

建築をつくること。その先にある、一人ひとりの創造的な時間をつくること。

私たちは、その可能性を建築によって探り続けます。

Profile

一級建築士事務所

STUDIOFUU

藤木暁仁

一級建築士
インテリアプランナー

経歴

2005
日本大学理工学部建築学科 卒業
2005–2007
有限会社佐藤健司建築都市研究所
2007–2011
菊池建設株式会社 設計部
2011–2013
青年海外協力隊(ジンバブエ)
2014–2015
有限会社アトリエ慶野正司
2015–2021
イシダアーキテクツスタジオ株式会社
2021–
STUDIOFUU 設立