創造的に時を刻む

力のある建築は人と世界との関わり方に働きかけるものそう信じています

そこで何を感じ何を考え何を生み出すのか

私たちはそうした無数の可能性を内包する場や環境を設計したいと考えています

一人ひとりの創造的な時間のために

  1. Webサイトをリニューアルしました

  2. 「森で暮らす家」のオープンハウスを開催しました

JOURNAL

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PROFILE

一級建築士事務所

STUDIOFUU

藤木暁仁

一級建築士
インテリアプランナー
栃木県壬生町出身

経歴

2005
日本大学理工学部建築学科 卒業
2005–2007
有限会社佐藤健司建築都市研究所
2007–2011
菊池建設株式会社 設計部
2011–2013
青年海外協力隊(ジンバブエ)
2014–2015
有限会社アトリエ慶野正司
2015–2021
イシダアーキテクツスタジオ株式会社
2021–
STUDIOFUU 設立

PHILOSOPHY

幼い頃、晴れた日に、家の前の路上で傘を並べて遊んだ。

使ったのは家にあった大人用の傘だった。子どもの手には余るほど大きく、ひとつ開くだけで小さな屋根になった。

最初は一本。そこへもう一本を寄り添わせ、少しずつ数を増やしていく。並べ方を変えるうちに布と骨が重なり合い、やがてひとつの天蓋が現れた。

その内側に潜り込んだ瞬間、見慣れたアスファルトの道が別の場所に変わった。確かに路上でありながら、外の世界から切り離された、私だけの部屋だった。

雨を防ぐための道具が、晴れの日には、場所をつくる道具になっていた。

天蓋の下に、プラモデルやカードゲームを持ち込んだ。やがて友人も加わった。傘がなければ、ただ通り過ぎるだけの道端だ。そこに遊びを広げようとは思わなかっただろう。ひとつの窪みが生まれたことで人が集まる理由が生まれ、遊びが始まったのである。

世界は何も変わっていない。変わったのは物の配置と、それによって生まれた空間の意味だけだ。それだけで目に映る景色が変わり、心が動き、体が動いた。空間とは、人や物を収めるための箱ではない。そこにいる人の意識と振る舞いに、静かに働きかけるものなのだと思う。

けれど、いちばん記憶に残っているのは、その天蓋をほどいていくときの感覚だ。

傘をひとつ、またひとつと外していく。閉じていた輪郭がゆるみ、隙間から光や道の気配が入り込んでくる。私だけの完全な空間は、少しずつ失われていく。それなのに、そこには不思議な心地よさがあった。外とつながっていることへの、安心感のようなものだった。

公の道なのか、私の居場所なのか。そのどちらでもあり、どちらでもない場所。完全に閉じた空間は人を守ってはくれても、招き入れはしない。少しほどけているからこそ、人は入ってこられるし、そこに留まっていられる。

振り返れば、あの路上の天蓋が、私にとって最初の空間づくりだった。建築を学び、図面を引くようになった今も、あのとき知った二つの感覚が設計の根にある。囲われることの高揚と、ほどけることの安らぎである。

何かをそこに置くことで、見慣れた世界が違って見えはじめる。意味が芽生え、人が集まり、何かが生まれはじめる。建築は、人と世界との関わりをどう変えられるのか。

その問いは、あの日アスファルトの上に広げた大きな傘の下から、いまも続いている。

アフリカや南米を旅していた頃、私は、自己とは世界との相対的な関係のなかにあるのではないかと考えるようになった。

知らない土地を訪れ、見慣れない人々の暮らしに触れ、ときには圧倒的な自然を前にする。それまで当たり前だと思っていたことが揺らぎ、自分でも思いがけない感情や考えが湧き上がることがある。

そうした感覚は、いつまでも続くわけではない。土地を離れ、時間が経てば、いつしか意識の奥へと遠ざかっていく。そして、別の場所で、また違った自分に出会う。

振り返れば、旅先で感じ、考えたことは、単なる思い出ではなかった。あのとき確かに存在した自分の一部である。

しかし、それは自分の内側に、あらかじめ備わっていたものなのだろうか。むしろ、あの場所に身を置き、あの時間を過ごしたからこそ、初めて現れた自分だったのではないか。

そう考えると、自己とは、ひとつの確かな輪郭を持つものではなく、世界との出会いを通して、そのつど異なる姿を現すものなのかもしれない。

旅に限らず、人生を振り返れば、ある人との出会いや、何気ない出来事を境に、それまでの自分が変わったと感じる瞬間がある。そのとき生まれた感情や考えは、やがて意識から遠ざかる。それでも、そこで出会った自分は消えてしまうわけではない。目には見えないかたちで、今の自分を形づくっている。

世界のあちこちに、まだ出会っていない自分がいる。

そう思うと、世界は、ただ自分の外側に広がるものではない。自分という存在の、まだ知られていない可能性を秘めた場所でもある。

建築について考えるとき、私のなかには、こうした感覚がある。

建築は、そこに暮らす人のために、完成された世界を用意することではない。その場所に身を置き、時を重ねるなかで、これまで知らなかった自分に出会う。その可能性を受け入れる場所をつくることだと考えている。

そこで何を感じ、何を考え、どのような時間を過ごすのか。それを設計者があらかじめ決めることはできない。建築ができるのは、そこで営まれる人生を描き切ることではなく、その先に広がる可能性に、ひとつの場所を与えることなのだ。

いつか、その場所で過ごした時間を振り返ったとき、そこにいたからこそ出会えた自分がいる。

そんな可能性を、建築というかたちで差し出したい。

人は一体、どんなからくりによって時の歩みを知覚するのだろう。

何かにすっかり魂を奪われる時。未知の驚きに血が騒ぐ時。私たちは、普段とはまったく次元の異なる、ある不可思議な時間の流れを感じることがある。

たとえば、夕暮れの窓辺で、傾いた陽の光が壁に落とす影の輪郭をただ静かに見つめている時。湯を注いだ珈琲の粉がふわりと膨らみ、豊かな香りが立ち昇る、ほんの数秒間。あるいは、雪が音もなく降りしきるのを、窓越しに眺める夜。

それはまるで、時間の網目が急に細かくなったかのように、一瞬一瞬が恐ろしいほど鮮明に意識され、心臓の鼓動のように時を刻むのを聴く体験だ。

そうした瞬間は、特別な出来事を待たずとも、凡庸に見える日常のなかにひっそりと息を潜めている。目の前を過ぎる風景、耳を打つ音、肌を刺す空気の冷たさ。あるいは、使い込まれた道具に凝縮された名もなき歳月。世界とのほんのわずかな触れ合いが、鈍った感覚を覚醒させ、インスピレーションをもたらす。

そして、そのインスピレーションは具体的な行動へと昇華される。物を作ること、人に語りかけること、あるいは新しい企てに身を投じること。世界から受け取ったものに、自分なりの手つきで応答していく。それこそが「創造」という営みであり、つまりは生きるということに他ならない。

人は、そうして創造的に生きている時にのみ、その人本来の生の輝きを魅せるのだと思う。

世界との触れ合いから生まれる感情や思考、そして自らの意志による応答。その一つひとつの積み重ねが、日々の生に血を通わせ、その人だけの強烈な光を放つ。

私が建築を設計するというのも、結局のところ、その輝きを引き出すための手段であり、ささやかな舞台装置をつくることに帰着する。どんな光を差し込ませ、どんな風を通すか。何に触れ、何を眺めるか。空間のしつらえ一つで、そこに生まれる感覚も意識も、おのずと変容していく。空間のあり方が変わることで、そこにいる人と世界との関係性が変わり、新たなインスピレーションが立ち現れる。

その一方で、建築が意図せず人の心や行動を鋳型にはめ、決定づけることになれば、それはたちまち創造性の牢獄となってしまうだろう。だからこそ重要なのは、ひとつの過ごし方や意味を強いることではなく、一人ひとりが自らの感性によって世界に応答し、その創造性を十全に展開できるだけの、寛容な余白を残しておくことである。

私が創り出そうとしているのは、ただ漫然と時間を消費するための空虚な箱ではない。

そこに身を置く者が、瞬間瞬間の世界との関係性に気づき、自らのインスピレーションで応答していく。そうした創造的な時間が幾重にも降り積もっていく場所であり、無数の可能性を内包した場や空間なのだ。

一人ひとりの瞬間的な、そして連続的な生の輝きを支えること。

それが、私が建築をつくる根源的な動機である。世界との接点にある身体と精神が、互いに作用しながら世界に応答していく。その連鎖を建築というかたちで現象させる可能性を求め、私は建築家という終わりのない道に入った。

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