創造的に時を刻む

力のある建築は人と世界との関わり方に働きかけるものそう信じています

そこで何を感じ何を考え何を生み出すのか

私たちはそうした無数の可能性を内包する場や環境を設計したいと考えています

一人ひとりの創造的な時間のために

WORKS

  • 長野県軽井沢町住宅

    森で暮らす家

    A House for Living in the Forest

  • 木立のなかに低く連なる客室棟と、縁側のようなデッキ、砂利の小径

    栃木県 那須町ワーケーションホテル

    森でワーケなすっぽ

    Mori de Workation Nasuppo

  • 躯体を現した天井と、左官の壁、杉合板の受付カウンターが並ぶジムの室内

    神奈川県藤沢市内装

    ライズパーソナルトレーニングジム藤沢店

    Rise Personal Training Gym, Fujisawa

  • ピンクの壁と赤いアーチが奥へ誘う、市松模様の床の会場入口

    イベント会場構成・デザインディレクション

    ANGFA スカルプD まつ毛美容液 新商品プロモーションイベント

    ANGFA Scalp D Eyelash Serum — Launch Event

  • 左官の壁に掛かる、反り上がる屋根をもつ木の神棚

    家具

    神棚

    Household Shrine

  • 無垢材の丸い天板を、細い鉄の脚が支えるテーブル

    家具

    Table kny-φ1000

    Table kny-φ1000

  • 住宅街の路地に建つ、赤みのある土の壁の家。屋根の穴から木が伸びる(計画案のパース)

    計画案東京都港区住宅

    麻布の陶芸家のための家

    A House for a Potter, Azabu

  • 山あいの田畑に向かって開く、大きな屋根を架けた柔道場(計画案のパース)

    計画案ネパール施設

    ネパール柔道場

    Judo Dojo, Nepal

  • 茅葺きの大屋根を、太い柱が持ち上げる。夕日の丘陵を望む(計画案のパース)

    計画案ウガンダホテル

    ウガンダのエコビレッジホテル

    Eco-village Hotel, Uganda

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NEWS

  1. 「森で暮らす家」のオープンハウスを開催しました

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JOURNAL

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PROFILE

一級建築士事務所

STUDIOFUU

藤木暁仁

一級建築士
インテリアプランナー
栃木県壬生町出身

経歴

2005
日本大学理工学部建築学科 卒業
2005–2007
有限会社佐藤健司建築都市研究所
2007–2011
菊池建設株式会社 設計部
2011–2013
青年海外協力隊(ジンバブエ)
2014–2015
有限会社アトリエ慶野正司
2015–2021
イシダアーキテクツスタジオ株式会社
2021–
STUDIOFUU 設立

PHILOSOPHY

幼い日、家の前の路上に傘を並べて遊んだ記憶がある。

最初は一本。そこへもう一本を寄り添わせるように置き、少しずつ数を増やしていく。並べ方をあれこれと試すうちに、重なり合う布と骨はそっと身を寄せ合い、やがてひとつの小さな天蓋を描き出した。

その瞬間、見慣れたはずの凡庸なアスファルトの道が、まるで違う場所へと姿を変えた。薄い被膜に閉ざされた内側は、紛れもなく路上でありながら、外界から切り離された、私だけの密やかな宇宙になったのである。

逆に、傘をひとつ、またひとつと剥ぎ取っていくと、空間の輪郭は陽炎のように揺らぎ、次第に曖昧なものへと溶けていった。公の道か、私の居場所か。そのどちらでもあり、どちらでもない不可思議な境界である。そのあやふやな領域へ友人を招き入れ、私たちは様々な遊びに興じた。

今にして思えば、妙なことだ。傘という屋根がなければ、ただ通り過ぎるだけの道端で、同じ遊びに興じようとは思わなかったに違いない。そこに空間という名の窪みが穿たれたことで、人が寄り集まる理屈が生まれ、遊びという現象が生まれたのだ。

世界そのものは、何一つ変わってはいない。ただ、そこにある物の配置が変わり、空間の意味が変容したことで、私の目に映る世界がすっかり一変したのである。そしてその微かな変容が感情を揺さぶり、ついには行動へと駆り立てた。

結局のところ、空間とは、ただ人や物を収容するための空虚な箱ではない。世界の手触りを変え、そこに佇む者の意識や振る舞いに、静かに、しかし抗いがたく働きかけるものなのだろう。

振り返れば、あの路傍に咲いた小さな傘の天蓋こそが、私にとっての最初の「空間づくり」だった。建築を学び、自ら図面を引く身となった今もなお、あの時感じた魔法のような幻影が、私の胸の底に眠っている。

何かをそこに創ることで、見慣れた世界がにわかに違う色を帯びる。そこに新たな意味が芽吹き、人々の息遣いが響き始める。建築は、人と世界との関わりにいかなる変化をもたらし得るのか。

その深い謎に満ちた問いは、あの日、アスファルトの上に築いた小さな傘のドームから、今もなお執拗に続いている。

アフリカや南米を旅していた頃、私は、自己とは世界との相対的な関係のなかにあるのではないかと考えるようになった。

知らない土地を訪れ、見慣れない人々の暮らしに触れ、ときには圧倒的な自然を前にする。それまで当たり前だと思っていたことが揺らぎ、自分でも思いがけない感情や考えが湧き上がることがある。

そうした感覚は、いつまでも続くわけではない。土地を離れ、時間が経てば、いつしか意識の奥へと遠ざかっていく。そして、別の場所で、また違った自分に出会う。

振り返れば、旅先で感じ、考えたことは、単なる思い出ではなかった。あのとき確かに存在した自分の一部である。

しかし、それは自分の内側に、あらかじめ備わっていたものなのだろうか。むしろ、あの場所に身を置き、あの時間を過ごしたからこそ、初めて現れた自分だったのではないか。

そう考えると、自己とは、ひとつの確かな輪郭を持つものではなく、世界との出会いを通して、そのつど異なる姿を現すものなのかもしれない。

旅に限らず、人生を振り返れば、ある人との出会いや、何気ない出来事を境に、それまでの自分が変わったと感じる瞬間がある。そのとき生まれた感情や考えは、やがて意識から遠ざかる。それでも、そこで出会った自分は消えてしまうわけではない。目には見えないかたちで、今の自分を形づくっている。

世界のあちこちに、まだ出会っていない自分がいる。

そう思うと、世界は、ただ自分の外側に広がるものではない。自分という存在の、まだ知られていない可能性を秘めた場所でもある。

建築について考えるとき、私のなかには、こうした感覚がある。

建築は、そこに暮らす人のために、完成された世界を用意することではない。その場所に身を置き、時を重ねるなかで、これまで知らなかった自分に出会う。その可能性を受け入れる場所をつくることだと考えている。

そこで何を感じ、何を考え、どのような時間を過ごすのか。それを設計者があらかじめ決めることはできない。建築ができるのは、そこで営まれる人生を描き切ることではなく、その先に広がる可能性に、ひとつの場所を与えることなのだ。

いつか、その場所で過ごした時間を振り返ったとき、そこにいたからこそ出会えた自分がいる。

そんな可能性を、建築というかたちで差し出したい。

人は一体、どんなからくりによって時の歩みを知覚するのだろう。

何かにすっかり魂を奪われる時。未知の驚きに血が騒ぐ時。私たちは、普段とはまったく次元の異なる、ある不可思議な時間の流れを感じることがある。

たとえば、夕暮れの窓辺で、傾いた陽の光が壁に落とす影の輪郭をただ静かに見つめている時。湯を注いだ珈琲の粉がふわりと膨らみ、豊かな香りが立ち昇る、ほんの数秒間。あるいは、雪が音もなく降りしきるのを、窓越しに眺める夜。

それはまるで、時間の網目が急に細かくなったかのように、一瞬一瞬が恐ろしいほど鮮明に意識され、心臓の鼓動のように時を刻むのを聴く体験だ。

そうした瞬間は、特別な出来事を待たずとも、凡庸に見える日常のなかにひっそりと息を潜めている。目の前を過ぎる風景、耳を打つ音、肌を刺す空気の冷たさ。あるいは、使い込まれた道具に凝縮された名もなき歳月。世界とのほんのわずかな触れ合いが、鈍った感覚を覚醒させ、インスピレーションをもたらす。

そして、そのインスピレーションは具体的な行動へと昇華される。物を作ること、人に語りかけること、あるいは新しい企てに身を投じること。世界から受け取ったものに、自分なりの手つきで応答していく。それこそが「創造」という営みであり、つまりは生きるということに他ならない。

人は、そうして創造的に生きている時にのみ、その人本来の生の輝きを魅せるのだと思う。

世界との触れ合いから生まれる感情や思考、そして自らの意志による応答。その一つひとつの積み重ねが、日々の生に血を通わせ、その人だけの強烈な光を放つ。

私が建築を設計するというのも、結局のところ、その輝きを引き出すための手段であり、ささやかな舞台装置をつくることに帰着する。どんな光を差し込ませ、どんな風を通すか。何に触れ、何を眺めるか。空間のしつらえ一つで、そこに生まれる感覚も意識も、おのずと変容していく。空間のあり方が変わることで、そこにいる人と世界との関係性が変わり、新たなインスピレーションが立ち現れる。

その一方で、建築が意図せず人の心や行動を鋳型にはめ、決定づけることになれば、それはたちまち創造性の牢獄となってしまうだろう。だからこそ重要なのは、ひとつの過ごし方や意味を強いることではなく、一人ひとりが自らの感性によって世界に応答し、その創造性を十全に展開できるだけの、寛容な余白を残しておくことである。

私が創り出そうとしているのは、ただ漫然と時間を消費するための空虚な箱ではない。

そこに身を置く者が、瞬間瞬間の世界との関係性に気づき、自らのインスピレーションで応答していく。そうした創造的な時間が幾重にも降り積もっていく場所であり、無数の可能性を内包した場や空間なのだ。

一人ひとりの瞬間的な、そして連続的な生の輝きを支えること。

それが、私が建築をつくる根源的な動機である。世界との接点にある身体と精神が、互いに作用しながら世界に応答していく。その連鎖を建築というかたちで現象させる可能性を求め、私は建築家という終わりのない道に入った。

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建築のはじまりは
まだかたちのない思いのなかにあります

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どんな風景に身を置きたいか

対話を通して思いをひもときながら
その人とその場所にふさわしい
建築の可能性を探っていきます

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